4月 26日号

大屋富士
大屋出身の方には、大変懐かしい山だと思います。通称大屋富士です。けして高い山ではありませんが、大屋の中心部にあり、山の格好から、大屋富士と呼ばれてます。町民のみなさんに愛されている山です。大屋小学校の校歌に「夢と希望 だきしめて 行けばあふれるこの元気 春には登ろう大屋富士 夏には泳ぐ大屋川」と現在でも歌い続けています。当方昭和38年3月卒 この山を見ていただければ大屋の山の様子が解っていただけるのではないかと思います。更改の度にこの山の写真も更改していきます。

<今日の様子>

4月もあと1週間で終わりですね。本当に早いですね。来週はもうゴールデンウィーク。週末は暑く、またまた夏日になるようです。天気は前半は曇りの日が多く、後半はまずまずの天気でなんとか持ちそうですね。コロナが5類になってたくさんの人が移動されると思いますが、十分注意してくださいね。
この連休でこのホームページも26年目になります。1年も休まず、続けられました。今から思うと、きっかけは、阪神大震災。被災された方と話す機会があり、被災されてなにが一番役に立ちましたかという話になり、情報が入ってこないので、困った。その時通信フォーラムと言う事で、私はWindowsを使っていましたが、その時は、95前だったので、通信という機能があるという事は知っていたんですが、アクセスポイントが、福知山か、姫路で通信料がかなりかかるので、できるだけ見ないようにしていました。実際やり始めたのが98がでたときからで、インターネットも和田山でアクセス出来るとわかったもので、実際やり始めたら、いろんな情報がとれるし、また発信することも出来るのではと思い、ふと被災した人の話を思い出したり、学生時代、大学が関西ではなかったので、こちらの情報が入らず、寂しい思いをした経験があるので、大屋の出身の人に喜んでいただこうと、85年も営業をしているので、当店の名前はご存じだと思い、ホームページを立ち上げました。よく読んでいただいている方は、こちらに帰ったら、御礼に来られる方もおられるぐらいたくさんの方に読んでいただいています。近年はGoogleの機能を使ってどこの国や県から何人の人がアクセスをしてもらっているかということがわかるんですが、海外からもアクセスが多く、特に今日の情報は、全世界からアクセスがあり、1日だけでも何百というアクセスがあり、つたない英語ですが、写真には英語で説明文をつけていただいています。
あと何年出来るかわかりませんが、健康が続く限り更新させて頂きたいと思っています。引き続き御覧ください。大屋情報、今日の情報では、大屋の写真やめずらしい食べものなど紹介したいと思いますので、御覧ください。
昨日発表された、2050年消滅する可能性のある自治体744の中に養父市が入っていました。残念ですが。但馬は豊岡をのぞき、ほとんどが消滅自治体になっていました。


(4月 25日掲載)











大屋で最後の桜、山路寺の襖絵



大屋町で最後に咲く桜です。毎年連休前に咲くのですが、先週の終わりに撮ったのがよかったのか、撮った時満開かなと思って撮りましたが、パソコンに移したとき、散り始めていて、今はほとんど散っています。この近くに山路寺があり、一昨日全国ネットの「なんでも鑑定団」に出ました。ここにある襖絵は片山暘谷(ようこく)という鳥取藩の絵師が書かれ1800年に完成したようです。この人はこんな事があると言うぐらい気にかかることがあり、家は山路寺の檀家。鳥取の興禅寺も紹介されましたが、ここは祖先の菩提寺。母が亡くなり、聞いたことのないよ古いふろしきに入った着物が出てきて、調べたら鳥取藩の打ち掛け。それを見て母の祖先のことを調べたくなり、興禅寺に行き、位牌堂に私の祖先で跡継ぎのない位牌がまつられているので、面識もあり、申し訳ないんですが、「過去帳を見せていただきませんか」と言うと快く見せていただき、祖先達の載っている過去帳を見せていただきました。住職が「当寺院の祖先の方なら、鳥取博物館に行くといろんな資料があるので、調べたらいいですよ」と教えていただき、「才木さん、養父市の方ですね。山路寺さんってご存じですか。5月6月にかけて鳥取博物館で、片山暘谷の展示会があり山路寺の襖絵が出ていましたよ」と教えてもらい、小さい頃から見ていたあの虎の絵はそんな有名な人が書いたんだと初めて知りました。母が亡くなったときで、忙しくしていたので、そんな展示会があったことなど知らなくってその時はいろいろと教えていただき有難うございました。と失礼したんですが、博物館に行き祖先の史料のことを学芸員の方に聞き、コピーでよかったらと史料をいただき、もらった史料を読んで、その中に因府年表があり、因府年表は1632年から1854年まで鳥取藩で起きたことや、竹島や日本での起きた天変地異のことなどがのっており、その中に、鳥取藩の元締までされていた私の祖先で、1800年2月4日に亡くなったことが載っており、襖絵が完成時期、鳥取博物館の展示会といい、また興禅寺で修業されていたといい、偶然とはいえ、祖先が元締までしていた頃、鳥取藩のお抱え絵師さんが山路寺まで来て祖先が死んだ年に襖絵を完成させていることや子孫が山路寺の檀家になっていることや何か私の中にひっかかるものがあるなと思っています。縁って不思議だなと思います。
右の写真は、小さい頃この部屋で遊んでいたら、お婆さんに怒られました。そのお婆さんも鳥取の用瀬(もちがせ)から来られていて、用瀬は私の祖先の領地の隣りの地区です。母とは鳥取出身ということで家族全員とても親しくしていただきました。私の祖先の領地のお宮さんに行くと名前入りの灯籠や石碑などがあります。
先週ツタンカーメン王のエンドウ豆を紹介させていただきましたが、今鳥取博物館では、古代エジプト展が開かれていて、ミイラの黄金のマスク、ツタンカーメン王の指輪などが展示されていて、5月12日まで見られるようです。ここの展示会は平日に行ったらよくすいていて、ゆっくり見られます。


(4月 25日掲載)











花山椒

これを見て何かわかられる方が何人おられるかわかりませんが、花山椒です。薄味をつけて焚いたら、とてもいい香りがして料理の天盛りに使います。山椒が欲しくて、山椒の木を買ってきて、家内の里の畑に植えてもらい、なかなか実がならなくって、義理の母から、あの山椒実がなるんか聞かれ、買ったとき言われたのが、買ったところからは、健ちゃんのために買った山椒だからといって買ったので、間違いないと思うよ。小さい頃から、よく知っている人だからというと、義理の母が生きている間はなりませんでした。何年かしてこんな物がなったと教えてくれ、見たら花山椒。びっくりしました。やはりいい山椒の木でした。
今年は竹の子がよく出来ており、市場でも値段がつかない状態。出している人達かわいそうだなと思いながらながめています。家でさえもらえる状態で、お客さんの中にはゴミがたくさん出るので、うちで焚いたものを買う方がいいというお客さんが多いです。昨日も竹の子をいっぱい入れて竹の子御飯を値段もお安くして売りましたが、とてもおいしかったです。ちらし寿司やいなり寿司にも、竹の子を入れていますが、歯ごたえが良く、春の香りがして美味しいですね。今は山椒は葉でちらし寿司や、煮物の天盛りにするととてもきれいで、重宝していますが、もうすぐすると、実になり、当店では佃煮や山椒味噌にして売ります。このへんの山椒は朝倉山椒と言って粒が大きくて香りもいいです。なぜ朝倉山椒というようになったのかと言うと、諸説ありますが、私はこれが本当であってほしいと願うのは、朝倉家が朝廷に献上したから、そう呼ばれるようになったという説があり、八鹿に朝倉という集落があり、そこは越前の朝倉家が出たところ。私の父もそこの出身で、山椒は大切に料理したと思います。皆さんから佃煮も味噌も好評いただいています。今日もキュウリの苗が入荷しましたが、キュウリにつけると最高に美味しいです。パクパク食べてしまいます。

(4月 25日掲載)
















キジ、スズラン


いつもなら、氷ノ山の写真を掲載するんですが、今週は天気が悪く、氷ノ山の見えるような天気の日が少なく、見えそうな日は料理があり、いけませんでした。コロナが5類になり、いろんな団体が花見をされたり、法事をされたりで、4月は料理の注文が多く、土日はほぼいっぱいで、天気がよくても撮りに行けません。今週はしょうがないと思っていたら、散歩中キジを見つけ、写真を撮りました。いつ見てもきれいな鳥です。何年間か見ることが出来ませんでしたが、ここ2年ほど見かけることがあります。こんな珍しい写真が撮れたら、やったという気持ちになり、気分がいいです。
今朝スズランがたくさん咲いているので撮っていたら、水滴がスズランにつき、水滴の中にもスズランがあるので、この写真がきれいなので、キジの写真と一緒に掲載しました。スズランは、iPhoneで、キジはまだiPhone14なので望遠がきかないので、デジタルカメラで撮りました。写真の大きさが違うのは、その関係です。
今日はすばらしい写真が撮れて、気持ちいい日でした。明日の朝まで続いてくれたらいいなと思います。明日の早朝、サッカー。完全にアウエーですががんばって欲しいものですね。
連休は月火水と天気が悪そうですが、あとの日はいいようですが、ほとんどが24℃。暑いと思うので十分注意してください。


(4月 25日掲載)




































































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